感動のラスト

実話から考える、女性の貞操観とは何を意味するのか

ようやくたどり着いた目的

すべてを知ることが出来たフィロミナとマーティンの2人、最後に訪れたのは今亡きアンソニーと呼ばれた男性が眠る墓前にいた。50年という時間を引き裂かれていた親子がようやく再会を果たした地は、儚くも探し続けた母が亡き息子の墓参りという悲しい現実に立ち尽くします。旅路の結末は決して良くないものだった、けれどアンソニーが生きていた時間、ずっと自身のことを忘れず、探しに来てくれたことだけでフィロミナは嬉しさを隠しきれませんでした。何処か晴れ晴れとした表情を浮かべる彼女の姿に、マーティンも思うところはあったが、これまでの時間が無駄だったとは言わない。

ここまで来ると気になるのは、本当にアンソニーが母を恨んでいなかったのかという点が気になる、という人も多いはず。これまでの動向などもあって事実はすでに明らかと言えるが、母を、そして自分が生まれ育った故郷を忘れなかったことは、劇中にて表現されています。

いつか帰るつもりだったのか

アンソニーにすれば、いきなり母から引き離されて遠いアメリカまで連れて行かれたことは恐怖を覚えるほどに等しいものだったはず。けれど幼い少年は母を忘れず、そして故郷を忘れることは一生ありませんでした。その証拠が表現されていたのは、フィロミナたちがアンソニーを捜索している最中に見つけた写真にありました。この時には人身売買で売り飛ばされたことがはっきりしていて、故郷をあ忘れるために必死で適応している少年が映しだされているのかと思いきや、それは違いました。

写真のアンソニーはアイルランドの国章であるアイリッシュハープのバッジを身につけられていたため、遠く離れてしまっても故郷を、そして大好きだった母を忘れていないということを示していたのです。傍にいないから親子ではない、そんな瞬間が見て取れるところだ。

また彼の墓標にはこう記されてもいたのです。

『2つの祖国と多くの才能を持つ男』

最後に逢いたかった母に会えないまま、この世を去ってしまったアンソニー。修道院で既に母は死んだと聞かされていたので、真に受けてしまったかもしれないが、いつか何処かで届くかもしれない言葉が、そこに刻まれていたのです。本当に会えていたらどれほど良かったことか、そう思いたくなるシーンが連続します。

マーティンの変化

旅路の果て、フィロミナの息子探しから始まったジャーナリストと老淑女の冒険は終焉を迎えました。悲願は叶うことはありませんでしたが、フィロミナの満足そうな顔と喜びに満ちた表情にマーティンにも変化が生まれます。最初こそ今回の旅を面白おかしく祭り上げて記事にすることすら考えていた、しかしそんな野暮なことをするものではないと考えるようになる。またこれまで嫌っていたはずのカトリックに対しても心情の変化が生まれた。

ヒルデガードのように行き過ぎた思想の持ち主がいる一方で、フィロミナのように赦しのカトリックという側面を実現させている信者がいるという事実は、元信奉者だった人間に影響を及ぼすには大きすぎる意味を持っています。今まで信じていなかった宗教に対しての見方が変わり、カトリックもあながち悪いものではないと尊敬の意を持つようにもなったはずだ。

かつてマーティンは宗教に対して、

『幸せな人に宗教は必要ない、信じるものは妄信と無知な者だけ』

といった侮蔑さえ見せていた。そんな彼が最後にしたのは、アンソニーの墓にキリストの像をそっと置いたのです。一見意味のない行為に見えなくもないですが、これが意味するところは宗教に対しての価値観が変化したことを表しているでしょう。

その後2人は明るいまま去って行き、それぞれの時間へと戻っていくのです。

作品全体を見て

物語としてハッピーエンドとは言えなくもない結末でしたが、終わり方にどこか胸が支えるような苦しい思いになった人は少ないでしょう。それもそのはず、最初から最後まで不安こそ見せたが悲嘆な表情を浮かべないフィロミナの姿には、確かに意味があって、それを不幸と感じさせない気高さが見えていたからだ。出来るなら逢いたかった、けれど息子が50年という時間の中で自分と同じくらいに思っていてくれたという点が分かっただけで、彼女にとって僥倖だったのです。

それを果たして不幸と呼ぶべきなのかどうか、それは人によって違ってくるでしょう。名高い名作として語られるだけあって、作品の出来はまさに至極の一作と言っていい。見たことない人はぜひ一度見るべきでしょう。

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